【滋賀県東近江市市長の不登校に関する発言の撤回を求める意見書】
NPO法人フリースクール全国ネットワーク、NPO法人登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク、NPO法人多様な学びプロジェクトの3団体は、2023年10月17日に行われた滋賀県の不登校対策について議論する首長会議における小椋正清東近江市市長の「善良な市民は本当にいやがる子どもを無理して学校という枠に押し込んででも学校教育に基づく義務教育を受けさせようとしている」「不登校は大半は親の責任」「フリースクールは国家の根幹を崩してしまうことになりかねない」という発言について、撤回を求める意見書を発表いたしました。
2023年10月19日
【滋賀県東近江市市長の不登校に関する発言の撤回を求める意見書】
NPO法人フリースクール全国ネットワーク
NPO法人登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク
NPO法人多様な学びプロジェクト
NPO法人フリースクール全国ネットワーク、NPO法人登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク、NPO法人多様な学びプロジェクトの3団体は、2023年10月17日に行われた滋賀県の不登校対策について議論する首長会議における小椋正清東近江市市長の「善良な市民は本当にいやがる子どもを無理して学校という枠に押し込んででも学校教育に基づく義務教育を受けさせようとしている」、「不登校は大半は親の責任」、「フリースクールは国家の根幹を崩してしまうことになりかねない」という発言について、次の理由により撤回を求めます。
1)子どもの命を守る
「いやがる子どもを無理して学校に押し込む」という行為は、子どもを精神的に追い詰めてしまいます。夏休みなどの長期休暇明け前後に子どもの自殺が多いのも、無理して学校に行かせていることが影響しているからだと思われます。安心して過ごせない、また命を脅かされる環境に無理やり押し込める行為は、子どもの人権侵害にあたります。それを「善良な市民」の行動であると、首長が発言する危険性をご理解ください。人権侵害を受けた子どもは、自己否定や社会不信に陥り、無気力になったり親子関係が悪化したりすることも想像していただきたく思います。不登校の親に対して不要な精神的圧力を与え、その結果子どもたちを追い詰めることになります。以上から、子どもの命を守るために発言の撤回を求めます。
2)教育を受ける権利を守るのが首長の責任
教育を受ける権利の主体は子どもにあります。また、何らかの理由で学校に通えない不登校児童生徒の教育の機会の確保のため「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(以下 教育機会確保法)が制定され、同法第13条では「不登校児童生徒が学校以外の場において行う多様で適切な学習活動の重要性に鑑み、個々の不登校児童生徒の休養の必要性を踏まえ、当該不登校児童生徒の状況に応じた学習活動が行われること」と定めてあり、教育を受ける権利の主体である子どもの学びが学校外でも保障され、休養の必要性も保障されています。
また同法では「不登校児童生徒が安心して教育を十分に受けられるよう、学校における環境の整備が図られるようにすること」とも定められています。国の法令に則り、安心して 学べる環境を整える責任は自治体の首長にもあるということを深く自覚いただきたいと考えます。その上で、不登校児童生徒の最善の利益のために、公教育の改善や民間との協力により必要な学びを共につくっていきたいと、私どもは考えております。
3)不登校に対する偏見の助長により苦しむ家庭を増やさない
文部科学省「令和3年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」でも明らかになったように、不登校の原因が様々にある中で「不登校は大半は親の責任」とする発言は、不登校に対する偏見を助長し、学校のことで悩む親子をさらに苦しめるものです。この発言の背景には「不登校=悪い」、「学校への適応を求める教育こそ必要である」と理解できます。それは、公教育以外の教育は教育ではないとの考えであり、子どもの公教育への適応のみが求められることになります。このことは、教育機会確保法の定めに反することにもなります。1992年に文部科学省は「不登校は誰にでもおこりうる」との見解を明らかにしました。いまだに不登校の原因を親の責任にする考えを自治体の首長がもっているということは、驚きでもあります。社会の無理解が、当事者を苦しめます。すでに、日本中に多くのフリースクールや家庭で学び育った子が成長し社会人として働いたり家庭を持ったりしています。不登校となった人を悪い印象で捉えるのは、彼ら彼女らの尊厳を傷つけるものです。不登校で悩む親子を苦しめないために、また不登校を経験した人の尊厳を守るために発言の撤回を求めます。
4)子どもの中心の学びを実現する必要性
「フリースクールは国家の根幹を崩してしまうことになりかねない」という発言には、小椋市長の国家観を強く感じます。フリースクールで行う子ども主体の学びは、憲法にもある基本的な人権の尊重を重視したものです。子どもが教育を受ける権利は、個人が人格を形成し社会において自らの能力を発揮するために尊重されるものであり、国家のために教育があるわけではありません。小椋市長は、発言の翌日(10月18日)に「フリースクールや生徒を否定したものではない」と釈明していますが、否定していないのであればこのような発言は撤回すべきと考えます。
上記の理由により、東近江市、滋賀県、そして全国の不登校で悩む親子、さらに学校に無理して通い苦しんでいる親子を追い詰めないために小椋市長の10月17日の発言の撤回を求めます。
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